東京オリパラ競技大会担当大臣となった丸川珠代さん。
父親は征四郎さんという医師をされている方です。
調べていくと、丸川珠代さんの父親・征四郎さんは医師として大きな出来事に2回も立ち合った経験があることが分かりました。
- 1995年の阪神・淡路大震災
- 2005年4月 JR福知山線脱線事故
日本を揺るがす大きな地震、大事故でしたよね。
丸川珠代さんの父親・征四郎さんはどのように関係していたのでしょうか。
また、丸川珠代さんの母親も医師だったとのこと。
そこで今回は『丸川珠代の父親は医師で元救急センター部長!母親も外科・耳鼻科の医師だった!』と題しまして、丸川珠代さんの父親について、また母親についてお伝えしていきます。
丸川珠代の父親は医師!
丸川珠代さんの父親は丸川征四郎さんといい、医師をされています。
父親・征四郎さんと母親は、丸川珠代さんが当時6歳の頃に離婚し、丸川珠代さんは母親と共に暮らしていたとのこと。
そのため、6歳からは父親・征四郎さんとは別居していたということになります。
ところが現在は、父親・征四郎さんは再婚して神戸市内に住んでおり、大阪・医誠会病院の院長を務めています。
丸川珠代さんの父親、征四郎さんは医師として大きな活躍の場がありました。
それは以下の2点です。
1995年 阪神・淡路大震災
丸川珠代さんの父親、丸川征四郎さんは兵庫医科大学病院に勤務していました。
ところが、1995年の阪神・淡路大震災の時は兵庫医科大学病院自体も被災。
患者さんの受け入れはおろか、医師や看護師がいつも通りの勤務をするのも困難な状況になってしまいました。
このため、被災後に救命救急センター部長に就任した丸川征四郎さんは決意します。
それは、災害訓練。
天災に遭っても多くの患者さんを対応できるよう、救急部長として訓練を重ねたそうです。
2005年 JR福知山線脱線事故
2005年4月、乗客107人が死亡、562人が重軽傷という大きな事故がありました。
それは、JR福知山線脱線事故。
兵庫医科大学病院の救命救急センター部長だった丸川征四郎さんは、その対応に追われました。
相当の人数の方が負傷したので、現場はほんとうに混乱していたと思います。
当時、丸川珠代さんはテレビ朝日のアナウンサー。
社内で事件の映像を見たときに、父親の征四郎さんの姿を見て驚いたそうです。
しかし、阪神淡路大震災後の訓練を積み重ねが功を奏し、福知山線事故の時は負傷者を無制限で受け入れることができ、多くの患者さんを対応することができました。
丸川珠代の母親も医師だった!
丸川珠代さんの父親は医師ですが、母親も元医師でした。
外科医師ののち、耳鼻科も経験され、現在は医師を退いているそうです。
丸川珠代さんは6歳から母子家庭で育ちましたが、経済的には恵まれていたそう。
それは、父親だけでなく母親も医師だったからなのですね!
尊敬する人物→母、祖母
引用元:丸川珠代さん公式ホームページ
ずっと一緒に暮らしてきた母親への愛は、丸川珠代さんのホームページでも分かります。
尊敬する人物に、「母」とありますね。
現在一児の母親でもある丸川珠代さんは、医師と子育てを両立していた母親が余計に尊い存在だと感じるのでしょう。
まとめ
今回は『丸川珠代の父親は医師で元救急センター部長!母親も外科・耳鼻科の医師だった!』と題しまして、丸川珠代さんの父親について、また母親についてお伝えしてきましたがいかがでしたでしょうか。
ご両親とも医師だったとは驚きでしたね!
そこで丸川さんは医師の道を志すということはなく、アナウンサーののち政治の道へと進んでいます。
職業は違えど、人のために尽くすという点では医療も政治も共通しているのかもしれません。
東京オリンピック・パラリンピック開催に関して、丸川珠代さんの今後も気になるところですね!